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私のマーヨンなご近所 [セブ島通信11月号]

私のマーヨンなご近所 [セブ島通信11月号]

相変わらずコロナ禍のフィリピン。あれよあれよという間に世の中が変化していく。

私の住むあたりはリゾートホテルが立ち並び、コロナの前は外国人がたくさんいて、観光客相手の商売をしている人も多かった。ホテルで働く人、アイランドホッピングやダイビング関連の商売をしている人、観光客相手の土産物やマッサージ、レストランなどで働く人などなど。

突然、外国人観光客が入国できなくなり、またいつ戻ってくるのかの見通しも立たず、収入の道を絶たれた人たちがあふれるだろう。と、当初から私は治安の悪化を心配していた。

しかし、あくまでも今のところは、そう変化したようには感じない。借金の申し込みも相当に来るのだろうと覚悟をしていたが、私が今まで貸したものはきっちり回収するという強い意志で接してきたことに関係しているのはわからないが面と向かって依頼してくる人はこれまでにいない。

一人だけ夫を通していくらか貸してくれと言ってきた人がいた。こんな時だから困ったときはお互い様と了承したが、取りに来た娘は髪を金髪に染めてイケイケな感じで食うに困っているようには見えなかったのがなんかモヤモヤしている。

隣の叔父さんの家は、アイランドホッピング用の船を何艘か持っていて、コロナの前には割と羽振りがよかったが、今は雑貨屋を真面目に経営している。以前からこの雑貨屋はやっていたのだが、おそらくそんなに切羽詰まって商売をしなくてもよかったのだろう、気まぐれに店を開けていた。

惣菜やバーベキューなどはなかなか味もいいのだが、何しろ開いている時間の方が短かったので、なかなか利用もできなかった。しかし今は商品の品ぞろえもなかなかでコンビニが隣にできた、みたいな便利さだ。しかも朝から夜まで開いているので、コロナ禍になり頻繁に利用し始めた通販の受け取りもしてくれる。

ヤシの実ジュースを売る店も近所にできた。アイランドホッピングなどで島に行くと、頼んでもいないのに割ってストローを刺したもの差し出され、驚くような値段で売り付けられることがあったが、フィリピン人はこのヤシの実ジュースを健康ドリンクとして飲むらしくなかなか繁盛している。手頃な値段であるため、私もしばしば利用している。

また鮮魚を売る店も出てきた。たらいを頭に乗せ売り歩く人は以前からいたが、なかなかほしいタイミングに出会わなかったりする。歩いて行ける距離に店を出してくれているとほしいときに買える。海の中できれいな魚だね、と観るような小さい魚は、どうやって食べるのかも、そもそも食べる身があるのかもわからないので買ったことはないけれど、アジ?イワシ?かつお?みたいな魚を買ってきて、ユーチューブを見ながら捌いている。私ではなく息子が。

まぁ、店といっても家の前に机を置いて売っているだけなのだが、あれこれ考える前に始めてしまっているような感じは否めないしそもそも商売として成り立っているのかも怪しいが、できるだけ利用し応援したいと思っている。

またこのあたりではバンを購入し、観光客相手に運転手付きで貸し出すのが流行っていたのだが、それらのバンは今はみんな工業団地の従業員の送迎に使われているようだ。いろいろな企業名が貼られたバンが夜になるとそこら中に停まっている。

両替屋を営んでいた親戚は、新たに洗車場をオープンさせた。こんなところで洗車する人なんているのか?と思っていたが、これが意外なくらいに客がいる。しかもどれもみんな高級車ばかりで、お金持ちの世界がこんなマクタン島の端っこにも存在していたことに驚いた。

車といえば、隣の叔父さんの息子が、近頃アマゾンの奥地にいそうなカエルのような色の車を乗り回している。こんなご時世なのにまさか買ったのか?と思ったら、仲のよかった台湾人が帰国をするので、預かったという。一時的な帰国なのか、もう帰ってこないのかは知らないが、とりあえず隣の息子は我が物のように乗り回している。

キャッシュレス化の流れも加速している。フィリピンでキャッシュレスなんて恐ろしいと思い込んでいたが、やむに已まれず利用すると、これはかなり便利であった。スマホさえあればできるので、アカウントをもっていない人には会社の回し者のように半ば無理やり作らせたりして、現金のやり取りを減らしている。今まで毎月、支払わなくてはならない電気代やインターネット代などは、ショッピングセンターの支払いカウンターでしていたが、30分から1時間待たされることも当たり前だったが今は家にいながらいつでも支払える。

日本のミュージシャンのライブ配信なんてものも観られるようになった。ライブなんてそこに行かなくちゃ意味ないじゃん、なんて思っていたが、これまた予想以上に心が沸き立つ。もしかしてもうわざわざ日本に行かなくてもいいかな、くらいの気分になる。

まだまだ先も見えず、これからどうなるかはわからないけれど、今のところ私の周りの人たちはたくましく生きているし、私は以前よりもしかしたら快適に暮らしているかも、と思ったりもしている。