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「ギャル、セブ島で寺子屋を作る」[セブ島通信5月号]

「ギャル、セブ島で寺子屋を作る」[セブ島通信5月号]

国際協力 NGO Anya’s 代表/校長 あにゃ

初めまして!国際協力 NGO Anya’s 代表のあにゃと申します。

わたしは、現在フィリピンのセブ島で寝泊りの出来ない孤児院、いわゆる寺子屋(Anya’s HOME)アニャズホームを運営しております。 アニャズホームでは、4スラム+ストリートで生活をしている子供たち、150人を請け負 っております。

このアニャズホームのある地域は、ドラッグの使用者及び、売人が尋常じゃ無いくらい多い です。 その為、望まない妊娠で生まれてきた子供、親のネグレクト及び、蒸発、近親相姦など色々 なバッググラウンドがあり、大人の身勝手な事情により、将来ある子供たちがチャンスやオ ポチュニティもなく、スラムだから、悪名高い地域だからとフィリピン人からも差別を受け ているのがアンフェアに感じ、この地域で運営していこうと腹を括ってはや2年が経ちま す!

(このアニャズホームは2019年10月に設立致しました。)

そもそも! なんでただのギャルだったこんなわたしが寺子屋をつくろうと思ったお話をしたいと思い ます。

わたしが10歳の頃、小学校5年生。 当時、世界がもし100人の村だったらという番組がやっていました。 それを観た時に10歳ながらにして衝撃と、なんとも言えない感情になりました。

今もそうかもですが(笑)、当時のわたしは今よりももっとわがままで、学校が大嫌いで、 食べ物の好き嫌いもすごくある中、かたや他の世界ではとてつもないことが繰り広げられ ていることをその時に知りました。

「ホントは学校に行きたいんだ。」と言いながら、出るか出ないかわからない砂金を泥の中 からこさえて、早朝から夜中までわたしと同じ歳くらいの子供がそんな重労働をして、食事 は1日スープだけという現実をわたしは本当に受け止められなかったです。

その時に感じた、アンフェアな感じと、わたしが先進国で生まれ育ってきたことがどれだけ 幸せでラッキーだったことなのかを痛感しました。

そこで、10歳のわたしは、将来の夢はギャルというヘンテコな夢を持っていましたが、人 生のゴールは孤児院をつくること!と硬く決めていました。

そして、わたしが17歳の時に初めてここ、フィリピンのセブ島に訪れました。 最初、リゾートでぇ〜、あったかくてぇ〜、物価も安くてぇ〜、海も綺麗って情報だし、最 高じゃん!!って気持ちで空港に降り立ちました。

しかし、現実は想像以上にショッキングでした。 2歳くらいの子が、おそらく自分の母国語も喋れないのにも関わらず、ブッカブカの T シ ャツにボロボロのカップを持ってきて、わたしに「1ペソ1ペソ」と言ってきました。 わたしは、10歳の時から、一支援者側として、募金活動や、支援をして来ていたし、むし ろこれが自分のやることで、現実だったのにも関わらず、正直リアルを目の当たりにして、 ドン引きしましたし、怖かった。

しかし、それをキッカケに「わたしは、30歳までにまたここに戻ってきて、セブに孤児院 をたてよう!」と決めることができました。

ギャルは基本頑固な気質のおかげか、何度も失敗したりしては立ち上がって諦めなかった ら、想っていたことは現実へと変わりました!

そんなわたしが校長だからこそ、子供たちにもなんでも出来るって自分を信じてくれたら いいなって想いで、教育支援と食事提供をさせて頂いております。

うちのモットーは、“チャンスとオポチュニティの提供”です。 自分で、それを掴み、勝ち取るのも自分次第。

18歳までうちで色んな世界を見て、それでもホームレスやりたければわたしはそれはそ れでいいと思っています。

その子が“最上級に幸せ”なのであれば! いつも世間の脇役だったかもだけど、1人1人自分の人生の主役になって欲しく、十人十色を推進しております。

アニャズホームはこんな感じのわたしが代表であり、校長として、こんな感じのスタイルで運営させて頂いております★!

またインスタグラムにて、普段の様子などをほぼ毎日ストーリーなどで配信させて頂いて おりますので、フォロー宜しくお願い致します!

インスタグラム: @ngos_anyas

YouTube もやっておりますので、チャンネル登録とコメントお待ちしております! YouTube: Anya’s channel

ご支援いただける方、インスタグラムの D M にてお問い合わせくださると助かります! これからもこんな私たちですが、どうぞ宜しくお願い致します!★