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私のマーヨンなご近所 [セブ島通信3月号]

私のマーヨンなご近所 [セブ島通信3月号]

ロックダウン以降、完全に移動手段がなくなってしまった。モルティカブというジープニーの軽トラ版を利用していた私にとって、それが走っていないとなるとどこにも行けないということになり買い物にだって行けない。そこでやむを得ずオートバイを活用することにした。

免許は持っていた。こちらに来てまだ間もない頃、近所のオジサンが免許をくれるというので頼んだら本当にできてきたのだが、よくよく見ると国籍がフィリピンになっており、これはまずいから直せと言ったら、それはできない、と言われ、結局、日本の免許を領事館で英訳してもらって取得をした。

今はそんなことはできないのであろうが、当時はこうして正規で手続きをするよりもどこかのオジサンがどこでどうやって作ったのかはわからない免許証の方がはるかに安かったと記憶している。

まだまだ血気盛んな頃には、近所を乗り回すくらいはしていたが、年齢を重ねるにつれ、目も悪くなり、わざわざ身を危険にさらすのもどうなんだ、と、ここ何年かはほとんど乗っていなかった。

しかしこの状況では仕方がない。ロックダウン中は交通量も少なかったので、そう危険を感じることなく買い物には行けた。バイクも相当に古いものだし、乗らないのであれば処分することも考えていたが、早まらなくて本当によかったと思った。

規制が徐々に解除され始め、橋を渡って仕事にも行かなくてはならないということになったが、モルティカブはまだ走っていなかった。バスが走っていたが、時間などは決められてはいないし、利用する人は道路に溢れかえっていて、とても乗れる気がしなかった。なので、意を決しバイクで行くことにした。

実は私は高所恐怖症だ。これまでに何度かバイクで橋を渡ったことはあったが、恐ろしくてお尻がムズムズし、なるべく上を見て走ってきた。モルティカブに乗っているときには、怖くはないのだが、バイクは臨場感がありすぎるのか本当に恐ろしかった。しかしこれまた「ノーチョイス」だった。

最初の頃は本当に恐ろしく、特に信仰する宗教などないにも関わらず、橋を渡る前には神様に無事を祈り、渡った後には神様に感謝をしていた。普通の道では、おそらく共通の交通ルールなどは存在していないと思われるクレイジーなオートバイの群れや、殺人バスと呼ばれる黄色い大きなバスが近づいてくると路肩に寄り止まってやり過ごした。自転車にも抜かされるくらいのスピードで、常に自分で自分を励ましながら毎日通勤していた。

セブでバイクで通勤するなど、命がいくつあっても足りないわ、と思っていたが、必要に迫られ仕方なくやってみれば慣れてしまい、どうということもなくなってしまった。今まで早くて一時間半、渋滞などがひどければ二時間以上も当たり前で、通勤だけでどっと疲れていたのが、ゆっくり走っても片道一時間はかからない。朝も多少ゆっくりできるし、夜も早く家に着く。途中、買い物にも寄れる。

クレイジーな運転手もまだまだ多く存在するが、「相手にしない」というのが一番である。何をそんなに急いでいるのかは知らないが、前が詰まっているにも関わらず、一台でも前へ前へと進みたい人には素直に道を譲る。

日本では煽り運転が問題になっているが、とりあえず私が走る通勤時間帯には、煽って楽しむ人はおらず、ただひたすら前に行きたいだけの超ポジティブな人たちだ。ちょっとずれてあげれば私に構うことなく、前を目指して遠ざかってくれる。

すでにマクタン島ではモルティカブが復活しており、道の真ん中に突然止まって客を乗り降りさせているが、そもそも彼らは突然、停まるものだと警戒していればどうということはない。私も少し前まではあれに乗っていたのだ。客の乗り降りする間くらい黙って後ろで待っても到着時間にそう影響はない。

ウインカーを出さないで曲がる人だって、いつまでもウインカーを出しながら真っすぐ走っている人だって、後ろから「こいつ、何をするかわからないな」と思って警戒していれば、大抵のことは対処できる。そういえば教習所ではそう教わったよな、日本で免許を取っていてよかったな、と改めて思う。

もちろん私がいくら気をつけて走っていても、まったく危険がないとは言えない。バイクよりも車の方が少しは安全度が増すことも理解するし、思い切って自家用車を手に入れようかと考えたこともあったが、車では渋滞にはどうにも対応できないことはバイクで走ってみればよくわかる。

雨の日には通販で購入した雨合羽があれば濡れることはない。何より、特に夕方、移動手段がなく工業団地のあたりで道路に溢れている労働者を見ると、今更、モルティカブで通勤しようとは思えない。

経済を支える労働者にどこまで行っても厳しい国だと同情しながらもほんの少しだけ優越感を感じながら、彼らの前を颯爽と通り過ぎ、今日も家路につく私である。