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「日本とオリンピックの歴史」 [セブ島通信3月号]

「日本とオリンピックの歴史」 [セブ島通信3月号]

推薦理事 安藤尚子

2020年の夏に予定されていた第32回東京オリンピックは、新型コロナウィルスによる世界的な感染拡大を受け、2021年に延期されました。

今から100年前、1920(大正9)年に開催された第7回アントワープ大会(ベルギー)は、今日のコロナ禍と同じような状況にありました。人類最悪のパンデミック「スペイン風邪」が1918年春に始まり、夏から秋にかけての第2波、翌年1919年春の第3波を経てようやく終息に向かいました。

当時の世界人口の3割にあたる約5億人が感染し、約4,500万人もの死者が出たとされています。日本でも、ほぼ半年遅れで感染が拡大し、1921年(大正10)年まで感染が続きました。日本人口の約半分にあたる2,400万人が感染し、39万人が亡くなったと推計されています。そうした中、なぜオリンピックが開催できたのでしょう?ひとつは1920年にはヨーロッパでの感染が収束していたことと、開催国ベルギーは奇跡的に感染拡大を免れた事があげられます。

世界では収束はみられなくとも、ヨーロッパで収まっていればよかった。今日とは異なり、オリンピックは「欧米諸国のもの」といわれた時代であった所以かもしれません。

近代オリンピック大会が初めて開催されたのは1896(明治29)年 アテネ大会(ギリシャ)です。この第1回目のオリンピックには、14ヵ国から選手は男性のみの241名が参加しました。

日本が初めて参加したオリンピックは、1912(明治45)年5月に開催された第5回ストックホルム大会(スウェーデン)になります。28ヶ国2,408名(女性48名)が参加しました。

当時、第4回ロンドン大会(イギリス)まではアジアからの参加がなかったため、IOC会長クーベルタンはさらに国際的な大会にしたいと考え、IOC日本代表委員の推薦を依頼しました。そして、柔道家 嘉納治五郎がアジア初のIOC委員に就任し、第5回ストックホルム大会に日本選手団2名とともに団長として参加しました。

日本はオリンピックへの参加が決まったものの、大会の参加費は選手の自己負担であり、当時の額で1,600円(現在約400万円)でした。そのため、選手は金銭的な理由で一度は辞退を申し出ますが、人々の募金で参加することが出来ました。

1916(大正5)年 第6回ベルリン大会(ドイツ)は、第一次世界大戦でヨーロッパは戦火となり、開催が不可能となりました。

そして、1920(大正9)年 第7回アントワープ大会(ベルギー)で、日本人選手が初めて男子テニスのシングル、ダブルスそれぞれが銀メダルを獲得しました。

1936(昭和11)年7月、日本はオリンピックの招致に成功し、第12回大会開催地に決定します。ちなみに日本国内では高橋是清蔵相が軍部により暗殺された二・二六事件の起こった年になります。

日本は、史上初めてアジアで行われるオリンピック大会として、また紀元二千六百年(皇紀2600年)記念行事として1940(昭和15)年 第12回東京大会に向け準備が進められていました。

しかし、1937(昭和12)年12月に勃発した支那事変が激化し泥沼化する中、内外情勢が悪化し、オリンピック大会の返上は不可避となり、ついに開催権を返上する事態となりました。

1940(昭和15)年 第12回ヘルシンキ大会(フィンランド)に続き、1944(昭和19)年 第13回ロンドン大会(イギリス)も、第二次世界大戦の影響で中止されました。

第二次世界大戦終了後、1948(昭和23)年に戦後初の第14回ロンドン大会(イギリス)が開催されましたが、日本とドイツは、戦争責任の観点から出場が認められませんでした。

平和の象徴でもあるオリンピックですが、古代オリンピックでは、戦争をしていたら休戦にして参加したころから「平和の祭典」とも言われます。

近代オリンピックも文字通り「平和の祭典」ですが、時によっては政治の道具にされてしまう事もあり、これもまた悲しい事です。

日本がオリンピックへの参加が認められたのは1952(昭和27)年 第15回ヘルシンキ大会(フィンランド)からでした。

そして、とうとう日本は1964(昭和39)年 第18回東京大会(日本)、1972(昭和47)年 第11回札幌大会(日本)と夏季冬季オリンピックの招致に成功しました。オリンピック開催権返上となった1940(昭和15)年から数え、24年ぶりのオリンピック開催という悲願達成となりました。

東京大会では「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子代表選手らの活躍、札幌大会ではスキージャンプの70m級で、日本人選手3名が冬季オリンピック史上初の表彰台を独占し、「日の丸飛行隊」と称され、大きな話題を呼びました。

大戦ですっかり荒廃した日本でしたが、戦後復興と社会インフラの飛躍的な向上をもたらし、 先進国への仲間入りをアピールしたのがこのオリンピック開催でした。日本人選手たちの活躍もまた、戦争によって傷ついた人々の心の励みとなっていったのでしょう。

そして、第32回東京大会「東京で2回目の開催」は、アジア地域では初の2回目の開催国となり、アジア成長の証(象徴)として、オリンピズム(理念)浸透のシンボルとして大いに意義があります。

コロナ感染拡大で延期されてもなお、成功に向けて国をあげて取り組んでいます。

1964(昭和39)年以来、またあの感動が日本にやってきますように…