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私のマーヨンなご近所[セブ島通信1月号]

私のマーヨンなご近所[セブ島通信1月号]

夫と結婚した後に住み始めた家にはトイレがなかった。かれこれ二十年前の話であるが当時の家賃は1500ペソ。下半分がブロッグ、上半分がアマカンと呼ばれる竹を編んだもので作られていて、屋根との間にはスペースがあり、普通に野良猫が出入りしているような家だった。

外に隣に住む大家と共有のトイレと水浴び場があった。確かに夜中にトイレに行きたくなってもめんどくさいなと思ったが、生まれた時から家に水洗トイレがあった私は、他の対処法も思い浮かばなかったし、だからといってトイレに行かないという選択肢もなく、ちょっとビクビクしながら行っていた。

それからすぐに自宅を建て移り住んだ。トイレがない家に住んだ経験上、必ず家の中にトイレは作れと夫に強く要望した。

当時、存命だった夫の祖母は毎朝、我が家のトイレを借りにきていたので、夫が結婚前に住んでいたいわば実家にもトイレがないことは承知していたが、ではみんながどういう風に用を足していたのかまで深くは考えていなかった。

外出先で、夫はお腹が痛くなるとそのへんの草むらに消えて行った。すっきりした顔で戻ってくるので、改めてえらい人と一緒になってしまったとショックを受けたのをよく覚えている。

数年前のことだが、日本で働いているフィリピン人同士が寮でケンカをした際に、そのへんに貯めてあった排泄物の入ったバケツを相手にぶちまけた、という話を聞いた。

なぜ排泄物が貯めてあるバケツが彼らの部屋の中に存在するのだろうか、と事情がすぐには飲み込めなかったのだが、フィリピンでは割と当たり前に簡易トイレというものが普及しているとこの時、初めて知った。

そういえば、昔、市場の金物屋で色とりどりの蓋付きのプラスティック製の入れ物がたくさん売っていて、冷や飯を入れておくのにちょうどいい、と買ってきて使っていたが、夫が微妙な反応を示し、これはおまるだと言ったことを思い出した。その時の私は、おまるとは小さな子供が使うものと思い込み、まぁ、別に使用済みなものを使っているわけでもないし、とそのまましばらく冷や飯を入れるのに使っていたが、もしかしたらあれはトイレのない家に住んでいる大人も使うものだったのか、とようやく腑に落ちたのだった。

そしてこの時、長年の謎も解けた。それは姑の部屋にある小さな入れ物のことだった。業務用の酢などが入っていたと思われる入れ物の取っ手の部分を切り取った小さなバケツみたいなものが、以前から姑の部屋にはあった。そういえば時には何か液体が入っていたこともあった。

これは何なのだろう?何のためにここにあるのだろう?と、姑の部屋を掃除するたびに不思議に思っていた。そして、あれは…そうなのか?と、今更ながら愕然としたのだった。

姑の部屋から歩いて数歩のところにトイレがあるにも関わらず、なぜこんなものを使うのだろう。と、まったく姑の心情などは理解できなかったので、トイレを使うよう何度も言ったが、この小さな入れ物は現在に至るまでまだ姑の部屋のすみにいつもある。

ある日のこと。毎月、電気代を一緒に支払いに行ってもらっている叔母さんが、電気会社の請求書を持って我が家を訪れた。中に入るよう促したが、外で待つというので、お金を用意して表に出ると、叔母さんは我が家の前でしゃがんで用を足していた。

この叔母さんは工業団地の日系企業で長年働いている一族の中ではかなり常識が通じると思っていた人だ。私が唖然とし、言葉を失ってしまったが「我慢できなかったから。」と笑っていたので、トイレなら貸しますが?と真顔で返そうと思ったがやめておいた。

姑のおまるにしても、この叔母さんにしても、使えるトイレが近くにあるのになぜわざわざそういうことになるのだ、と息子に聞いてみたら、「文化なんだよ。」と言う。そういえば、ここで生まれ育った息子たちも、わざわざ外に行って用を足すことも今でもある。トイレでないと用を足してはいけない、という概念はもしかしたら彼らにはないのもしれない。

つい先日のある雨の日の夜、テラスで飼っている番犬の餌を与えようと思い表に出ると、テラスの前で姑がしゃがんで座っていた。驚いて、「何をしているの?」と聞けば、用を足していると平然と言い放った。雨が降っているのにわざわざ外でしなくてもよくないか?そんなに広い家でもないのでトイレまで数歩の距離だ。おまるすら使わず垂れ流しかい。

言いたいことはたくさんあったが、ぐっとこらえた。だってケンカになっておまるの排泄物をぶち撒けられても困る。今後も姑は怒らせないように細心の注意が必要である。