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私のマーヨンなご近所、水野 [セブ島通信11月号]

私のマーヨンなご近所、水野 [セブ島通信11月号]

姑の具合が悪いというのは以前にもここに書いた。糖尿病とのことで今は薬を毎日飲みとりあえずは落ち着いている。

しかし足腰もかなり弱くなっている。元々、わざわざトイレには行かずに、外や部屋の中の専用のバケツで用を足していた人であるが、それも難しくなってきているのか所かまわず粗相をするようになった。ボケているわけではない。

しかもそれは自分の仕業ではない、と平然と言い張る。その辺の心理は理解できないが、もう理解をしようとも思っていない。

今まで同居をしているとはいえ、朝起きたらすでにおらず、夜も遅くに帰って来て、寝るだけという生活をしていて、ほとんど関わっていなかったのだが、こんな状況では知らん顔をするわけにもいかなくなった。

誰か身の回りの世話をする人を探さなくては、と、とりあえず夫の弟の子供に声を掛けてみた。夫の弟のところにはたくさん子供がいるが、手伝えそうな年ごろの女の子が二人いる。しかし仕事もないのにあまり乗り気ではない。タダでとは言わないから、と言ってようやく一番上の子が手伝いに来てくれることになった。

しかし、すぐに妊娠していることがわかった。二十歳になったばかりでもちろん独身である。相手はというと近所の18歳の無職だという。では、二番目の子は、と聞けば、こちらもすでに妊娠しているという。こちらの相手は少し年上らしいが、こちらも無職。近所には仕事をしていない人がたくさんいるが、誰も手伝いには来てくれない。身内でもだ。

フィリピン人は家族を大切にするというイメージがあったが、実際はこんなものなのか、と思った。そういえば、近くに姑と同じ年くらいのきょうだいのおばあさんがいるが、子供がいないようで、二人で暮らしている。

どちらもあまり元気そうではなく、杖をついてようやく歩いているような感じだが、誰かが身の回りの世話をしているようには見えない。子供はいないとはいえ、この辺に住んでいるのだから血のつながった身内もいるのだろうが、誰も面倒をみていない。姑のきょうだいだって近所にたくさん住んでいるが、我が家には見舞いにも訪れない。困った時は助けを求めてくるが、こちらが困った時には冷たいもんである。

仕方がないので、私が身の回りの世話をしている。まだ寝たきりではないので、それほど大変ではないのだが、長い時間、一人にはできない。とりあえず今は夫の弟の身重な娘にも少し手伝ってもらっている。

しかし、姑からしたら孫にあたるこの娘に対する態度がはたから見ていてあまりにもひどい。思い通りにならないと汚い言葉でののしる。以前から姑はそういう性格なので、近所の人とも揉め事ばかり起こしていた。だから誰も見舞いには来ないのだろうし、お金をあげるから面倒をみてと言っても誰も手を挙げないのだと気づいた。

しかし私にはといえば、何も言わない。恐らく陰では言っているのだと思うが、面と向かっては言わない。何やらブツブツ言っている時はあるが、「え?何?」と聞き返すと「別に。」と答える。

言われたところで都合の悪いことは言葉がわからないフリをするけどね。食事も息子や身重の娘が用意すると、やれ、これは嫌いだ、だの、辛いだのと文句を言っているが、私には言わない。なので、これはこれでいいと思ったりもしている。

姑は、日がな一日を家のソファーでぼーっと過ごしている。パソコンやスマホで各自が動画を観ているこのご時世、我が家にテレビもない。たまに自分でヨタヨタと外に出ていくが、話し相手になってくれる人はほとんどおらず、外の椅子に座ってぼーっとしている。可哀そうだと思わなくもないが、かといって私が話し相手になるほどの時間はないし、その気もない。

ある日、近所に住むおばあさんが自宅の風呂場で滑って転んで打ちどころが悪かったらしく亡くなった。この辺りでは一番元気なおばあさんだった。

そしてその翌日、そのおばあさんの夫も急死した。持病があったらしいが、自宅で普通に生活していたという。そして二人同時のお葬式となった。

人は必ず死ぬ。当たり前のことだけど、時々すっかり忘れていつまでも元気でいられると思い込んでいたりもする。私も年齢的にも折り返し地点はとっくに過ぎているだろうし、お終いに着実に近づいていると思うから、こういう死に方はとてもいい死に方だと思うし自分もこうありたいと思う。

姑の食事は、近所の総菜屋で買ってくることが多い。近所なのでみんな顔見知りで、私が惣菜を選んでいると、それは糖尿病の姑には食べさせてはだめだとか横から言ってくる人もいる。

「そうね。」と答えているが、あまり気にしていない。個人的にはもう好きなものを好きなだけ食べればいいと思っている。しかし姑自身は、そんな近所の人たちの助言をものすごく気にしていたりする。その割には部屋にお菓子だのパンだのの食べかけがあったりする。

命が尽きるまでそんなに時間はないのだろうが、かといってなかなかお終いにもできないのが人間なのだなあ、と姑の面倒をみながらしみじみ思ったりしている。