
「もしも、彼が日本に生まれていたら」
ミンダナオ国際大学1年生 ジュディス・カダンポ
そんな風に考えても、いまさら何も変わらないと、分かっています。でも、ふっと考えてしますのです。「もしも、彼が日本に生まれていたら、、、」と。
私の家は、とても貧しいです。お母さんは、私が小さい時に亡くなりました。お父さんは、収入がほとんどなく、いつも家でお酒を飲んでいます。私は、姉弟が7人いますが、私以外誰も高校を卒業していません。
私の17歳の弟も、家族を助けるために、学校に行くことをあきらめて、工事現場で仕事をしていました。
しかし、コロナの影響で、その仕事もなくなり、家の前の川で砂を掘って、家族を支えていました。そんなある日、とても危険な場所で砂を掘っていた弟は、私の叔父さんと一緒に、土砂崩れの下敷きになって、亡くなってしまいました。
その時、私は思いました。
「もしも、彼が日本に生まれていたら、他の子と同じように学校に通って、毎日ご飯を食べることができて、大人になって夢を叶えることもできたのではないか」と。
私は、3年前に日本に行くことができました。
そこで見たもの、体験したことは、私の人生を変えました。ゴミ一つ落ちていないきれいな道。礼儀正しい人々。そして、子どもたちはみんな、きれいな制服を着て、設備の整った学校で学んでいました。
私の弟のように、家族のために命を懸けて、危険な仕事をしている子どもたちは、いませんでした。
日本で生まれるのと、フィリピンで生まれるのとでは、なぜこんなに大きな違いがあるのでしょうか?
ただ、だからと言って、私や弟、フィリピン人が不幸だとは思いません。私の弟は、亡くなるその日まで、家族と幸せに暮らしていました。私たちにとって、家族は何よりも大切な存在です。
私は、日本人も、日本の文化も、日本の食べ物も大好きです。しかし、それ以上に、自分の生まれた国であるフィリピンを、愛しています。
ただ、今回の経験から、この国をより良い国に変える必要があると、強く感じました。
これ以上、私の弟のような犠牲を出してはいけません。
私は、日本でたくさんのことを学び、この国を「子どもたちが何の心配もなく、勉強できる国」に変えます!
最後に、このスピーチを私たち家族のヒーローである弟と、私をいつも支えてくれるDAREDEMO HEROと、そのスポンサー様に捧げます。
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