セブ島通信 Vol.171 2019年07月号へ戻る

私のマーヨンなご近所

水野

先日、親戚の娘の子供の洗礼式に 呼ばれた。 後見人(スポンサー)と呼ばれる ものに選ばれるのは、本来、名誉な ことらしい。しかし以前、安請け合 いをしてしまった近所の人の子供に は、何かあるたびに金銭を要求され て、もういい加減にしてくれよと、あ る時、「え?なんであなたにお金をあ げなくちゃいけないの?」と真顔で 聞いたら、「後見人だから。」と当た り前のように言われてからは、後見 人を頼まれると、「私とあなたの神様 はちがうのでできません。」と、断っ ていた。 しかし、今回、頼まれた親戚の娘は、 結婚式の時にも、後見人を頼まれた が断っていた。この娘がまだ小学生の ころから、いろいろ家のことを手伝っ てもらっていたので、今回は引き受け ることにした。 洗礼式の前のセミナーにも出席し てほしいとのことで、日曜日の9時に 教会へ来いという。といっても、どう せフィリピンタイムだろう。ゆっくり 行けばいいんじゃないの、と思ってい たら、息子が、教会はきっちり時間 を守る、と断言する。そんなことは ない、と思いつつも、人にこうだ、と 言い切られてしまうと、そうなのか もしれないと思ってしまう素直な私 は9時少し前に、教会に行った。 ところが、というか、案の定という か、日曜ミサが始まったばかりで、セ ミナーなどが始まる雰囲気がまるで ない。と、冷静に考えれば、自信満々 に断言した息子、生まれて間もなく 確かにこの教会で洗礼式を行ったが、 それ以来、ミサに参列してる様子は ない。誕生日やクリスマスですら教会に行ったという話を聞いたことがな い。そんな息子の言うことを信じる 私がやはりアホなのだ。グルリと辺 りを見回すが、親戚一族もまだ見当 たらない。仕方がないので、木陰で 待つことにした。 それからミサが終わっても、洗礼 式のセミナーが始まる気配すらなく、 普通に次のミサが始まった。親戚一族 はまだ現れない。私はひたすら木陰 で待ち、2回も虫取り網みたいなも のを目の前に突き出されたので、愛 あるお金を入れ徳を積ませていただ いた。 2回目のミサが終わるころ、よう やく親戚一同がやってきた。時計を見 ると、 10 時を回っている。「え? 9時 に来いって言ったよね?」と、なるべ く感じよく聞いてみたが、それに対 する明確な説明はされず、やれ、赤 ちゃんのくつを探していただの、出が けにダレソレに呼ばれただの、自分 たちが遅れた理由を並べ、終いには 9時に来てなんて言っていないと自分 たちはあくまでも悪くないと主張し 出した。曖昧に薄ら笑みを浮かべて 無言で応答しておく。ちゃんと「9 時に教会に来てね」というメッセージ はスマホに残っているが、ここで向こ うにぐうの音も出ないほどやり込め ないのが、フィリピンで円満に暮らす 秘訣だ。 そして、ミサが終わり、ようやく 洗礼式のセミナーとやらが始まった のは、 11 時をとっくに過ぎていた。 教会の長い椅子に座ると、跪いて お祈りをするところに、小袋に入った クッキーが食い散らかされている。「ゴ ミをここに捨てないでください。」と ビサヤ語で貼られている、まさにその 上に。 そしてセミナーが始まり、教会の 世話役のオバチャンが洗礼式とはな んぞや、みたいなことを話している最 中、半分くらいの人は、スマホをいじっ ていた。教会の壁には「ここはお祈り をする場所です。携帯電話の使用禁止」と貼ってあったけど。 洗礼式はすぐに終わった。そして、 ふと思った。私、いなくてもぜんぜん よかったよね、と。いやいや、信心深 いフィリピン人が、毎週、教会で何を しているのか間近で見られただけで、 私がここに来た意味はあったと、自 分で言い聞かせる。(現にこうしてネ タにできた。) 教会の洗礼式の後、場所を移し、 ごちそうが振舞われるそうで、かな りしつこく誘われた。まぁ、断るのも 感じが悪いと思い、「後で行きます。」 と、笑顔を答えたが、疲れ果ててと てもじゃないが行く気にはなれなかっ たので行かなかった。夜になり、お呼 ばれした息子たちが、赤ちゃんの写 真が貼ってあるマグネットと豚の丸焼 きを持ち帰ってきた。 小さなリゾートホテルで行われた という洗礼式パーティー。親戚のフェ イスブックで写真を見たが、一体、い くらかかっているのだろう、とついつ い考えてしまう。もちろんお祝いは 包んだ。しかし、それとは別に、家 を改築するからと言って、結構な金 額の借金を申し込まれていた。ちょ うど新学期が始まる時期なので、子 供たちの学校に支払う金が必要だか ら、と断って正解だった。これで貸し ていたら、ものすごくモヤモヤしてい たにちがいない。 さて、その後すぐに、私の住むあ たりの祭りがあった。夕方になると、 親戚からご招待を受けごちそうを食 べに行った。洗礼式を盛大にやった娘 の家の前も通ったが、たくさんの人が いて賑やかだった。これまた大きな出 費だろうことは容易に想像でき、フィ リピン人のお金の使い方を、私が理 解する日が来ないだろうとしみじみ 思う。 あと何年後か、クリスマスや誕生 日の度に、この赤ちゃんが私のところ に金銭を要求してこないことを祈る しかない。

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