セブ島通信 Vol.171 2019年07月号へ戻る

セブ観音慰霊祭に向けて

セブ日本人会

昭和 17 年 4 月、日本陸軍がセブ島 タリサイの海岸に上陸しました。開戦から 4 ヶ月後のことです。開戦早々占領したマニラやダバオとは軍事的、政治的重要性に差があったのでしょう。この時の様子はニュース映画に収められ、当時全国の映画館で上映されました。ありがたいことにその映像はインターネット上の「NHK戦争証言アーカイブス」で無料で見ることができます。当時もセブはマニラに次ぐフィリピン第二の都市、人口14万。マゼランが初めて上陸し、欧米の植民地支配が始まった地と紹介されています。駆逐艦に護衛されて海上を進む輸送船団。舟艇による上陸の様子。タリサイの砂浜に整列する兵士。戦車やトラックと共にセブ市を目指し行軍する日本軍。日の丸を振って迎える在留邦人。救出された邦人280余名とのアナウンス。米軍により破壊された市街。 3 分足らずの映像ですが当時の様子が手に取れるようです。米軍は既に撤退しており完全な無血上陸、占領のためか将兵の顔にも余裕が見えます。当時の日本人学校の先生と生徒と思われる人々の顔は解放された安堵と喜びに溢れています。この後、セブは フィリピン国内の民需、軍需の海上輸送の要地として、日本軍の輸送船や護衛艦が頻繁に寄港するようになります。しかし、アメリカ軍の支援を得た抗日ゲリラが徐々に勢力を拡大していきます。そのような状況下で起こったのが「海軍乙事件」です。昭和 19 年 3 月、太平洋の戦勢はセブが占領された直後に起こったミッドウェー海戦の大敗北、翌年 2 月のガタルカナル島撤退に始まり日本陸海軍にとって不利になってきています。戦艦武蔵座乗の古賀大将率いる連合艦隊は同年 2 月のアメリカ海軍機動部隊によるトラック環礁空襲、基地機能喪失に伴いパラオ諸島に根拠地を移動しました。しかし、そこも 3 月になると大空襲を受けることになり、事前情報を得た連合艦隊の艦艇は輸送船団を残して撤収、連合艦隊司令長官古賀大将以下首脳部は一足先に 2 機の飛行艇でミンダナオ島ダバオに脱出を図ります。しかし、悪天候のため古賀大将を乗せた機は行方不明、連合艦隊No2の福留参謀長搭乗機は航法を誤りセブの南郊サンフェルナンド沖に不時着水しました。当時セブ島の大部分はゲリラの勢力下にあり、セブ市を出ると既に軍の力が及ばない状況だったとのことです。隣のネグロス島では軍隊が主要都市から一歩離れる場合はトラックに鉄板やセメントで防御した急拵えの装甲車を使用したと言います。不時着水直後、福留参謀長以下はゲリラに捕らえられ、その上、次の海軍作戦に関する最高軍事機密書類まで奪われてしまいます。この機密書類は潜水艦でオーストラリアにあったアメリカ軍の司令部の手に渡ります。作戦計画の詳細や日本軍兵力、配置まで全て筒抜けになってしまいます。念の入ったことにアメリカ軍はコピーを取った後、原本は福留参謀長に返却し、ゲリラはその価値を理解していなかった風を装います。結局、彼らは日本陸軍とゲリラ間のバーター取引により日本軍に救出されました。「生きて虜囚の辱めを受けず」として捕虜になることを禁じ、自決を命じていた日本軍です。セブからは目と鼻の先のレイテ島ではこのためにどれだけの将兵が命を落としたことか、この呪縛がなければどれだけの命が救われ、故国の土を踏めたことか。海軍中将以下、誰一人として捕虜になっても軍法会議にすらかけられませんでした。もって冥すべし。後日談として福留中将にはなんの咎めもないばかりか 10 月から始ま る神風特別攻撃隊の指揮を取り続け、終戦はシンガポールで迎えました。機密書類に関しても海軍内部での審問では奪われたことは無いと終始一貫主張し、結局次期作戦計画は一切変更されず、そのまま実施されます。 6 月のマリアナ海戦の敗北の一端はこれに起因していると言われています。1944年から始まったアメリカ軍の空襲はセブを焼き尽くします。サンカルロス大学出版局発刊の「The War at Cebu 」には一面焼け野原になった市街地や攻撃される港湾、ラフグ飛行場(現在のITパークとウオーターフロントホテル)の写真がこれでもかと言わんばかりに所収されています。サントニーニョ聖堂だけが奇跡的にも瓦礫の中にポツンと残っています。焦土と化した広島や東京と同じです。この環境でどのように市民が命を長らえたのか。コロンを中心としたダウンタウンの凄まじい破壊の跡。港で空爆を受ける日本軍の艦船。艀のような小舟さえ容赦なく攻撃されています。どれだけの船員、将兵が命を落としたことでしょう。攻撃される艦船のその隣に現在も健在な税関が健気にも生き残っています。我々が住む平和なセブ島では戦争中様々なドラマが繰り広げられました。戦争が引き起こす災禍は誰も幸せにはしてくれません。セブ島観音の下で毎年行われる慰霊祭ですが、戦争は 8 月 15 日の1日 だけではなく、犠牲者もまた日本人だけではなかった事を心に留めて手を合わせたいと思います。

セブ島通信 Vol.171 2019年07月号へ戻る